第二十四章:なぜ人は「ここまでやったのだから」と引き返せなくなるのか

「ここまで頑張ったのだから。」

あの頃、

何度この言葉を自分に言い聞かせただろう。

時間を使った。

お金も使った。

人とのつながりもできた。

ここで辞めてしまったら、

それまでの努力が、

全部無駄になるような気がしていた。

だから、

もう少しだけ。

もう少し頑張れば、

何か変わるかもしれない。

そう思っていた。

失ったものを数えてしまう

人は、

何かを始めるときよりも、

辞めるときの方が難しい。

始めるときは、

これから得られるものを見る。

しかし、

辞めようとすると、

これまで失ったものを考えてしまう。

使ったお金。

費やした時間。

築いた人間関係。

努力した日々。

それらを思い返すほど、

「ここで辞めるのはもったいない。」

という気持ちが強くなる。

「もう少しだけ」が続いていく

最初は、

一ヶ月だけだったかもしれない。

それが、

三ヶ月になり、

半年になり、

一年になる。

そのたびに、

「ここまで続けたのだから。」

と思う。

そして、

また次の一ヶ月を頑張る。

気づけば、

辞める理由を探すより、

続ける理由を探すようになっていた。

未来ではなく、過去を見ていた

今振り返ると、

私は判断するとき、

「これからどうなるか」

よりも、

「ここまで何をしてきたか」

を見ていたのだと思う。

でも、

本当に考えるべきだったのは、

これまで使った時間ではなく、

これから使う時間だった。

すでに使ったお金は、

戻ってこない。

過ぎた時間も、

戻ってこない。

だったら、

これから先をどうするかを考える方が、

ずっと大切だった。

サンクコストという考え方

経済学や行動科学では、

すでに支払ってしまい、

取り戻すことのできないコストを、

「サンクコスト」と呼ぶ。

お金だけではない。

時間も、

労力も、

感情も、

人間関係も含まれる。

そして人は、

それらを無駄にしたくないと思う。

だから、

「これだけ使ったのだから。」

という理由で、

さらに時間やお金を投入してしまうことがある。

今考えると、

私も同じだった。

辞めることは、負けることではない

当時は、

辞めることを、

失敗だと思っていた。

続ける人は、

努力している。

辞める人は、

逃げている。

そんな考え方を、

いつの間にか自分の中に作っていた。

でも、

今なら違うと思う。

続けることが正しい場合もある。

辞めることが正しい場合もある。

大切なのは、

「どれだけ続けたか」ではなく、

「これからも続けたいのか」

なのかもしれない。

あの時間は、無駄だったのか

それでも、

時々考える。

あの時間は、

本当に無駄だったのだろうか。

お金を失った。

時間も失った。

だから、

完全に無駄ではなかった、

と言い切るのも違う気がする。

失ったものは、

確かに失った。

そこを綺麗な言葉で、

なかったことにする必要はない。

ただ、

その経験から何を学ぶかは、

これからの自分で決められる。

失ったものを取り戻すことはできない。

でも、

同じ判断を繰り返さないことはできる。

そう考えるようになった。

本当に怖いのは、失うことではない

今になって思う。

本当に怖かったのは、

ここまで頑張ったものを手放すことではなかった。

「今までの自分が間違っていた」

と認めることだったのかもしれない。

人は、

自分の過去を否定することが苦しい。

だから、

間違いを認める代わりに、

もう少しだけ続けようとする。

そして、

「ここまでやったのだから」

という言葉が、

自分を前へ進ませるのではなく、

過去につなぎ止めることがある。

次章への気づき

人は、

自分が信じたものを守ろうとする。

だから、

都合の悪い情報が出てきても、

すぐには考えを変えられない。

むしろ、

「自分の考えは間違っていない。」

と思える情報を探し始める。

私自身も、

そうだったのかもしれない。

なぜ人は、

自分に都合のいい情報ばかりを集めてしまうのか。

次章では、

「確証バイアス」という、

もう一つの人間の心の癖について書いてみたい。

▼続きはこちら

第二十五章:なぜ人は、自分に都合のいい情報ばかり集めてしまうのか

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