第十八章:なぜ人は「まだ大丈夫」と思ってしまうのか

離れた今だから分かることがある。

当時の私は、
決して何も考えていなかったわけではない。

むしろ逆だった。

違和感もあった。
迷いもあった。
不安もあった。

それでも私は思っていた。

「まだ大丈夫だ」

と。


異変は突然やって来ない

人は限界に達した瞬間に気づくわけではない。

少しずつ変化していく。

考える時間が減る。

疲れていることが増える。

以前なら疑問に思ったことを、
流してしまうようになる。

だが、その変化はあまりにも小さい。

だから気づけない。

いや、正確には――

気づいていても、
異変だと認めたくない。


本当に危険なのは「まだ大丈夫」

振り返ると、
危険だったのは苦しい瞬間ではなかった。

むしろ、

「まだいける」

と思っていた時期だった。

少し無理をしているだけ。

少し疲れているだけ。

少し悩んでいるだけ。

そうやって説明できてしまう。

だから立ち止まらない。


人は自分の判断を信じたい

当時の私は、
自分で選んだと思っていた。

自分で考え、
自分で決断し、
自分で行動している。

その感覚があった。

だからこそ、

「間違っているかもしれない」

という可能性を受け入れにくかった。

もし間違いだったなら。

費やした時間は何だったのか。

信じた未来は何だったのか。

努力は何だったのか。

考えたくなかった。

だから人は、

現実を変えるよりも、
解釈を変える。


説明できるうちは続いてしまう

不思議なことに、

人は納得しているから続けるのではない。

説明できるから続ける。

今日は疲れていただけ。

結果が出ないのは努力不足。

理解されないのは自分の伝え方が悪い。

そうやって理由を見つける。

理由が見つかる限り、
人は立ち止まらない。


「自分だけは違う」という感覚

当時の私は思っていた。

失敗する人は、
途中で諦めた人だ。

結果が出ない人は、
本気ではなかった人だ。

自分は違う。

自分は冷静だ。

自分は客観視できている。

そう信じていた。

だが今振り返ると、

その感覚は特別なものではなかった。

多くの人が同じように考える。

だからこそ、

「自分だけは大丈夫」

という感覚ほど危ういものはない。


異変に気づくために必要だったもの

今なら分かる。

当時の自分に足りなかったのは、
知識ではなかった。

判断力でもなかった。

必要だったのは、

結果を急がないこと。

そして、

立ち止まることを恐れないこと。

だった。


回復は「正しさ」から始まらない

離れた後も、
すぐに答えが見えたわけではない。

何が正しかったのか。

何が間違っていたのか。

しばらく分からなかった。

ただ一つだけ確かなことがあった。

以前より、
自分の違和感を無視しなくなった。

それだけだった。

だが振り返れば、
回復はそこから始まっていた。


気づきはいつも後から訪れる

人は問題の中にいる時ほど、

自分を客観視できない。

だから、

「まだ大丈夫」

と思ってしまう。

それは弱さではない。

人間なら誰にでも起こることだった。

そして、

本当に大切なのは、

異変を感じないことではなく、

異変を感じた時に、
立ち止まれることなのだと思う。


次章への気づき

だが実際には、

立ち止まることは簡単ではない。

なぜなら人は、

「失うこと」を極端に恐れるからだ。

時間。
人間関係。
期待。
未来。

次章では、

なぜ人は損をしていると分かっていても離れられないのか。

「失う恐怖」の正体について書く。

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