第十七章:なぜ違和感があっても離れられないのか

違和感は、突然生まれるものではない。

むしろ最初は、とても小さい。

少し疲れる。
少し無理をしている気がする。
少し話が噛み合わない。

その程度だった。

だから、すぐには離れなかった。

いや――
離れられなかった、という方が正しい。


「おかしい」と「辞める」は別だった

今振り返ると、不思議に思う。

違和感は確かにあった。

予定を優先し続ける空気。
熱量についていけない感覚。
成功談ばかりが語られる時間。

どこかで、「何かがおかしい」と感じ始めていた。

それでも、辞めるという発想にはならなかった。

なぜなら当時の自分にとって、
MLMはただの活動ではなかったからだ。

そこには既に、

人間関係
居場所
期待
未来

が結びついていた。


離れることは「否定」に感じてしまう

組織を離れる。

言葉にすれば、それだけのことに見える。

だが実際には違った。

離れるということは、

応援してくれた人を否定すること。
信じていた未来を否定すること。
頑張っていた過去を否定すること。

そんな感覚があった。

特に苦しかったのは、
人間関係だった。

優しくしてくれた人もいた。
話を聞いてくれた人もいた。

だから簡単に、

「全部おかしかった」

とは思えなかった。


人は“正しさ”より“関係性”を優先する

当時の自分は、
論理的に考えているつもりだった。

だが実際には、
判断基準が少しずつ変わっていた。

正しいかどうかではなく、

嫌われないか。
期待を裏切らないか。
空気を壊さないか。

そちらの比重が大きくなっていた。

人は孤立を恐れる。

だから違和感があっても、
関係が続く方を選んでしまう。

それは弱さではなく、
人間として自然な反応だった。


「もう少しだけ」が積み重なる

今思えば、
決定的な瞬間はなかった。

ただ、

もう少し考えてみよう。
もう少し続けてみよう。
もう少し様子を見よう。

それを繰り返していた。

違和感はある。

でも、
今すぐ辞めるほどではない。

その曖昧さが、
一番長く人を留める。


離れられなかったのは、依存ではなかった

以前は、
自分は依存していたのだと思っていた。

だが今は少し違う見方をしている。

あれは依存というより、

「戻れなくなることへの恐怖」

だった。

もし辞めて、
何も変わらなかったらどうするのか。

もし普通の生活に戻って、
後悔したらどうするのか。

その不安が、
判断を鈍らせていた。


離れた後に初めて見えるもの

本当に不思議なのは、
離れた後だった。

距離を置いて初めて、

なぜあんなに焦っていたのか。
なぜあんなに承認を求めていたのか。

少しずつ見えるようになった。

環境の中にいる間、
人は環境を客観視できない。

だから必要だったのは、
正しい知識ではなく、
距離だったのかもしれない。


回復は「切ること」ではなかった

最初は、
全部断ち切らなければならないと思っていた。

考えないようにする。
思い出さないようにする。
完全に忘れる。

だが実際の回復は違った。

ゆっくりと、
過去との距離感が変わっていくことだった。

否定でもなく、
美化でもなく。

「ああいう時間だった」と、
静かに整理できるようになること。

それが本当の意味で、
離れるということだった。


次章への気づき

ではなぜ、

人は違和感を覚えても、
「自分はまだ大丈夫だ」と思い続けるのか。

限界は近づいているはずなのに、
人は自分の異変に気づけない。

次章では、

“正常だと思い込もうとする心理”

について書く。

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