第十九章:なぜ人は失うと分かっていても離れられないのか

今振り返ると、不思議に思う。

違和感はあった。

疲れもあった。

思うような結果も出ていなかった。

それでも私は離れなかった。

なぜだろう。

当時は答えが分からなかった。

だが今なら少しだけ理解できる。

人は未来を信じているから続けるのではない。

失いたくないものがあるから続けてしまうのだ。

失うものばかりが見えていた

離れることを考えた時、

最初に浮かんだのは自由ではなかった。

失うものだった。

これまで費やした時間。

使ったお金。

築いた人間関係。

語ってきた夢。

積み重ねた努力。

頭の中に浮かぶのは、

「辞めた後に得られるもの」

ではなく、

「辞めたら失うもの」

ばかりだった。

人は損失を大きく感じる

不思議なことに、

人は手に入る喜びよりも、

失う痛みを強く感じる。

一万円を拾う喜びより、

一万円を落とす苦しさの方が大きい。

だから判断は歪む。

本当は今離れた方が良い。

そう感じていても、

失う痛みが大きく見えてしまう。

「ここまで来たのだから」

当時の私は何度も考えた。

ここまで頑張ったのだから。

ここまで時間を使ったのだから。

もう少し続ければ変わるかもしれない。

だが今思えば、

その考え方そのものが罠だった。

過去に使った時間は戻らない。

過去に使ったお金も戻らない。

それなのに、

人は過去を回収しようとして未来まで差し出してしまう。

期待は簡単に捨てられない

本当に手放せなかったのは、

お金でも時間でもなかった。

期待だった。

もし成功したら。

もし人生が変わったら。

もし今辞めてしまった後に、

本当はあと少しだったと知ったら。

そんな想像が頭から離れなかった。

期待には証拠がなくても生き続ける。

だから厄介だった。

離れることは敗北ではなかった

当時の私は、

辞めることを負けだと思っていた。

続ける人が強くて、

離れる人は弱い。

そんな空気をどこかで信じていた。

だが今は違う。

離れるという選択は、

負けではない。

自分で判断を取り戻すことだった。

本当に失いたくなかったもの

四年経った今、

ようやく分かることがある。

当時失うのを恐れていたものは、

実はほとんど失っても困らなかった。

時間も、

お金も、

肩書きも、

思っていたほど大きなものではなかった。

本当に失いかけていたのは、

自分で考える力だった。

違和感を信じる力だった。

納得して選ぶ力だった。

手放したから見えた景色

離れる前は、

辞めたら何も残らないと思っていた。

だが実際は違った。

残らないどころか、

初めて見えるものがあった。

焦らなくていい日常。

比較しない時間。

何者かになろうとしない自分。

それらは以前の自分が見落としていたものだった。


回復とは取り戻すことではない

昔の自分に戻ること。

それが回復だと思っていた。

だが実際は違った。

失敗も経験も消えない。

なかったことにもできない。

回復とは、

失ったものを取り戻すことではなく、

経験を抱えたまま前に進めるようになることだった。

次章への気づき

人は失うことを恐れる。

だから離れられない。

だが、

本当に厄介なのはその後だった。

離れたはずなのに、

心のどこかで正しかったと思いたくなる。

なぜ人は過去を美化してしまうのか。

次章では、

「記憶が書き換わる心理」について書く。

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